年配の方は「弁護士高林鮎子4 信州飯田線 殺意の天竜峡」(1988年)で取り上げられているので知っている方も多いと思います。
ここは、もともと国鉄バスの路線です。
これは1979年の時刻表ですが、豪華な路線図が描かれています。青の二重線は国鉄バスで、一重の線は遠鉄バスです。飯田線沿いのバスは豊鉄バスです。
今回の乗車区間は、鉄道路線になる予定で一部で工事がなされたものの、国鉄の赤字と当該バス路線の需要が減少して工事が中止されたものです。その後、JRバス→遠鉄バス→水窪タクシー(浜松市の委託)と引き継がれて現在に至ります。小学生のときから知っていて、いつか乗らねばと思っていましたが、昨年の遠鉄バスから水窪タクシーに代わったところでさすがに存続が危ぶまれると思って、実家に帰る途中で乗ってきました。
未成線マニアにも人気の場所ですね。
ちなみにドラマの設定と同様に、水窪エリアから浜松に出るには豊橋をまわるより早く安くいくことができます。
【飯田線ルート】
水窪846→豊橋1116/1123→浜松1158 1980円
【水窪タクシー・遠鉄ルート】
水窪駅入口910→西鹿島駅1042/西鹿島1048→新浜松1120
800+480=1280円
それでは南から順番に乗りレポです。
パッと見、新しそうですが、この駅舎は小学生の時から見慣れています。もう40年ちかく経つと思います。国鉄時代の二俣線の駅の中では、これだけ目立っていました。駅舎の所有と管理は国鉄時代から遠州鉄道で、遠州鉄道の駅員が国鉄の乗車券を売っていました。
駅前に遠鉄バスのバス停があります。
定刻通り16:25発の水窪町行がやってまいりました。
乗車券はありませんが、回数券がありましたので、記念に1冊購入しました。キップ収集とローカル路線支援を兼ねています。田舎の駅ではできるだけ乗らなくてもキップを買うようにしています。
時期的な問題もあるのでしょうけど、乗客は私のみ。結局、途中でほかに1名乗車があっただけです。
コミュニティバスにありがちな賽銭箱形式の運賃箱です。
天竜川を渡ります。この先の双竜橋をまっすぐ行くと天竜二俣駅があり、JRバス時代はそちらにも行っていました。左に曲がって北に向かいます。
船明ダム湖畔を通ります。この先には秋葉ダムもあり、同じような風景が続きます。
途中、飯田線の東栄駅方向に向かう道路が分岐します。熊まではかつてバス路線がありました。
秋葉神社の横を通ります。
西川バス停(旧:遠江西川駅)
今回の旅で一番見たかったところです。何回か車で通ったことがあるのですが、いつも見学するのを忘れていました。
「さいかわ」と読みます。こちらは一見、何の変哲もないバス停ですが、ここには出札があり、しばらく前まで朽ちた駅舎が残っていました。
1枚しか持っていませんが、当時の乗車券です。専用券でわかるようにこのルートで浜松に行く客が多かったことがうかがえます。国鉄バスから遠州鉄道という非常に珍しいタイプの乗車券です。
西渡バス停
このバス停で中部天竜、佐久間方面と水窪方面に分かれます。中部天竜方面は浜松市が水窪タクシーに委託して、運行しています。昔は国鉄バス・JRバスが走っていました。
これは国鉄バス当時の乗車券で、中部天竜駅で売られていました。佐久間までは飯田線で140円なので、バスの方が20円安いですね。
うれしいですね。まだ国鉄が残ってました。西渡駅(にしどえき)。この駅という表現は国鉄バス特有で、国鉄時代は鉄道もバス(正確には「自動車線」という。)も区別なく乗車券を売るシステムでした。
飯田線が見えてまいりました。
するとすぐに相月駅前バス停となります。階段を上がって飯田線なので、1分で乗り換え可能です。
城西駅前で降りました。水窪駅は何度も訪問したことがありますし、相月は駅舎がなくて味気ないので、ここにしました。駅前にバス停があります。
トイレ側からです。中の写真も撮りましたが、とりあえず載せないでおきます。北海道の駅ほどは汚くなかったですよ。
道路が高台になっているので、駅舎が高い位置にあります。
出札口がみごとになくなっています。
昭和30年12月とあります。意外に新しいなと感じたと思います。それもそのはずで、佐久間ダムの工事に伴って路線が付け替えられて登場した駅です。飯田線は佐久間を過ぎると急に山の反対側を通ると思いますが、佐久間ダムが要因です。
石垣の穴は排水口ではありません。ポイント用のテコにつながっていたワイヤーがでていました。昭和59年ぐらいまで使われていた記憶があります。
既に交換設備は廃止されており寂しい限りです。
ということで飯田線を南下し、実家に向かいます。
今日はタダメシが自動ででてくるわい。。。
最後に国鉄時代の入場券です。