タイトルの意味はおいおい語ります。鉄道マニアのかつてのアイドル船尾さんですね。
まずは79年の時刻表から。面白いぐらい入り組んでいますね。これらの路線のうち、伊田線、糸田線、田川線は平成筑豊鉄道に替わっています。それ以外は、筑豊本線、日田彦山線とこの記事の後藤寺線を残して廃止されています。
今回は黄色の枠で囲った駅間を走る後藤寺線へ、高校生のとき以来の訪問となりました。最近は、青春を辿る旅ってのが、ちょっとマイブームです。
● 新飯塚駅
まず1990年の夏の写真です。まだDD51に引かれたレッドトレインが走っていた時期です。
こちらは現在の駅舎です。すっかり立派になっています。飯塚駅の方が権威がありそうですが、市の中心施設はこちらにあつまっています。時刻表上は今でも飯塚駅が代表駅になっていますね。
出札と改札です。左は旅行系の窓口でした。売店じゃないですよ。売店はありません。階段下にコンビニがあるだけです。
キハ40に乗っていきます。郷愁にひたれるこの車両で良かったです。1990年と同じです。
平日の朝で、乗客10名程度でした。半分は18キッパーのようです。
● 上三緒駅
簡素な駅舎しかありません。
● 下鴨生駅
ここからかつては漆生線が分岐していたのですが、その痕跡も見当たりません。
● 船尾駅
今回のメイン訪問先の船尾駅です。途中下車しました。
まずはホーム先端から。このアングルだと、なんとなく普通の駅のように見えます。左の広大な空き地は引込線の痕です。昔の配線図を見ると、何本も引込線があり、貨物としては大きな駅であったことがうかがえます。
線路から下ったところです。
なんか駐車場っぽいこの空間。かつてここに駅舎がありました。青春18きっぷを使って旅をしていたとき、夜行列車明けで眠かった朝、この駅を通りかかりました。ふと車窓に眼をやると、何ともみすぼらしい駅舎が広がっていて、ひとめぼれしてしまいました。JRになって数年たっているにもかかわらず、この汚さは半端ない!感動的な汚さなのだ。歴史を感じる汚さなのだと少年は感じました。同じことを鶴見線の国道駅で感じましたが、あちらは排気ガスですが、こちらはセメント工場の粉じんです。
その後、一度は下車して訪れたいとは思っていたものの、結局、解体前に行くことはできませんでした。
かつての駅舎は下記のリンクをどうぞ。こういう形の汚さだと味がありますよね。
リンク→「区間全駅ネットワーク」区間全駅「特別編」後藤寺線 船尾駅
ちょっと引いてみました。スティーブンセガールの暴走特急で登場する貨物線のイメージです。
後ろにあるのは麻生セメントの工場です。麻生大臣の麻生セメントの工場の一つですね。
ここで、ぼっち昼食となりました。一人でのんびりと、新飯塚駅のコンビニ弁当です。
一つだけ面影が残っていました。踏切制御用の端子箱です。昭和39年製造とあります。
● 田川後藤寺駅
こちらは現在の田川後藤寺駅
こちらは90年夏です。躯体はかわってないのかな。リフォームしただけのようです。
ここから平成筑豊鉄道に乗り換えます。