少し長編になりますが、北京発平壌行の国際列車乗車記録です。(2010年9月)
北京を17:30に出て、平壌着は翌日の19:30と24時間以上も乗ることになります。
それほど距離がないにもかかわらず、ここまで時間がかかるのは、出入国に手間がかかるからです。
さて、そもそも入国できるのかという話からですが、職業によるみたいです。ジャーナリスト、政治家、公務員などはビザが下りないようなことを聞きました。またアメリカ国籍などの場合はビザが下りにくいようです。
年間の日本人の入国者数ですが700名とのことで、わたくしが入国した日の日本人はわたくし1名です。
旅行の手配方法ですが、個人旅行は無理で、代理店を通す形となります。日本でも可能な旅行代理店はありますが、私は安価な中国の旅行会社にお願いし、北京のホテルでビザと乗車券を受け取りました。それが下記です。だいぶ前はJTBもツアーを主宰していました。最後の関連記事をご覧ください。
ちなみに個人移動はできないので、ガイド2名と運転手1名が常についてきます。ただし、列車の場合は平壌駅からスタートなので、それまでは個人旅行的な雰囲気を味わうことができます。
上のビザは出国時に回収されるため、あらかじめ写真を撮っておきました。パスポートには一切痕跡が残りません。あえていえば、丹東の出国スタンプが押されますが、列車かどうかは判明しないので、北朝鮮に入国したことはわかりません。
乗車券も車掌に頼み込みましたが回収されて、現物は表紙しか残っていません。
さて、乗りレポ行きます。まずは北京駅からです。
改札口の人だかりのとおり、すごい人なんですが、この人たちはほとんど途中駅までで、平壌に行く人は私をいれて5人でした。内訳は日本人のわたくしが1名、あと4名はドイツ人の若者グループです。わたくしは4人用のコンパートメントを独り占めできて快適でしたが、その後、丹東で昼利用の客で満席になってしまいました。
なお、この列車には食堂車がついていて、おいしい中国料理を堪能できるのですが、難点があります。国際列車となっている寝台車1両は最後尾に連結されていて、カギがかけられているので、車掌に明けてもらって、さらにぎゅ~ぎゅ~づめの車内を5両ぐらい歩いて行かないと食堂車にたどり着けません。しかも食堂車は宴会じみた感じに出来上がっているオッサンがいますので、グループ客の多い居酒屋に紛れ込んだ雰囲気です。もちろん旅師はあきらめません。乗った列車に食堂車が連結されていれば、必ず食すべし。亡くなった旅好きのジイさんも、生きていたらそう言うでしょう。すでに出来上がったうるさい客と相席し、中国の食堂車を堪能しました。
次は車内設備のご案内です。おそらく新車なんでしょうね。ピッカピカです。
ちなみに、中国車両と北朝鮮車両が交互に行き来しているようです。なので、北朝鮮車両の時は車掌も北朝鮮の人だと思います。個人的には北朝鮮の車両に乗りたかったですね。
翌朝は丹東駅で出国手続きです。パスポートを車掌が回収して、駅事務所に持って行ったようですが、いつまでたっても戻ってきません。結局、荷物検査や面談などはないものの、手続きに2時間ちかくかかりました。
ここで、丹東着の一般車両が切り離されて、北朝鮮車両が連結されました。そのうえ、最後尾だった国際列車1両(中国人車掌+日本人のオレ+ドイツ人ヤングマン4人)の後ろにさらに1両つきました。
はるばるモスクワからやってきた1両です。中からは車掌2名も含めてロシア人が15人ぐらいいたと思います。ということは、乗客はさておき、車掌は1週間ぐらいかけてモスクワから乗務しているということなのでしょうか。1か月の勤務は、モスクワ⇔平壌の1往復で終わりですね。なかなか面白そうな仕事です。ロシア人だったら平壌行列車の車掌を是非やりたいですね。
そして、2時間ほど経過し、寝台車も丹東からの乗客を大量にのせて、いよいよ国境の橋に向かいます。
橋を渡ってすぐに北朝鮮側の新義州駅に到着し、しばらくすると税関やら入国審査官やら憲兵やら警察やらがドカドカと車内に入ってきて検査を始めます。見た目ほどいかめしくはないですね。対応はソフトです。
おおむね入国審査チームと荷物検査チームに分かれているようです。入国審査チームは私の寝台に腰を掛けて、書類をじっくり審査し、携帯を封印していきます。荷物検査チームは財布の中のものまですべて念入りにチェックします。これまでの旅の中でいちばん厳重なチェックでした。
※携帯の封印は出国前に開くと、最後に没収されるとのことです。私の場合、復路は航空機でしたが、チェックはありませんでした。
旅師的には新義州駅の長時間停車時間を利用して駅の散策などを行いたいのですが、ホームに憲兵らしき人物も何人か見張っており、さすがにあきらめました。特に出札に行って切符などを記念に購入したかったのですが、あきらめて正解だったと思います。切符を集めていることなどは理解されないでしょうから、拘束されるリスクもありますし。
3時間ぐらい停車ののち、北朝鮮国内を平壌に向けて走り出しました。重要幹線だけあってスピードは快調です。路盤も悪くありません。体感で70キロは出していたと思います。
すでに14時を過ぎており、猛烈に腹が減ってきました。北朝鮮でも旅師の心は忘れません。食堂車へ直行です。しかし、食堂車が連結されているのは、丹東で連結された北朝鮮車両の中ほどなので、そこまで立ち入っていいのか迷いましたが、腹が減っていて耐えられませんので決行です。途中でドア(手動です)をあけて外を撮影していたら車掌に叱られましたが、日本人とは気づいていないようでした。
さて、食堂車はそこそこ客がいます。迷っていると、ラサール石井似の朝鮮人に誘われ、彼らのグループと一緒のテーブルで食べることとなりました。でも、中国料理風に大皿でやってくるので、これが正解でした。言葉はわかりませんが、雰囲気で意気投合し、彼らの持っていた缶詰なども食し、最後は割り勘。良心的です。うまくもまずくもありません。
そして、ほぼ定刻の19:30に平壌駅に到着です。ホームにガイド2名が来ており、すぐに羊角島ホテルに向かい、夕食となりました。いよいよオッサン3名と一緒に北朝鮮の旅が始まります。
下の写真は翌日、車の中から撮影したものです。