昭和34年のきたない連続乗車券から。
記事欄をよく見てください。
いったん東北方面に行って、、、、からの房総半島一周、、、さらに身延線をちょいと挟んで、名古屋から一気に都城へ。この人、身延線は未乗だったんだろうな~って思います。
そのあとの連続2からが笑えます。倉賀野→小倉のあとです。門司→小倉→門司→小倉→門司→小倉→門司→小倉→門司→小倉→門司→小倉
なぜか門司と小倉をいったりきたり。
当時は今のように連続乗車券の券片に制限がないので、無限に増やすことができたのですが、なぜ、このようなことをしているのでしょうか。おそらく有効期間を延ばすためでしょう。1か月以上の有効期間にするためにわざわざ捨て区間を作っているのだと思います。ついでに身延線乗ったりとか、なんだか自分と同じ匂いがする。。。
ということは、当時、最長連続乗車券を作ったとすると、、、、
際限がないので、限界がなくなってしまいますね。理論上は一生使える乗車券も購入できてしまうわけです。ということは、小児で4年間有効な連続乗車券を作ったら中学生になっても使い続けられるわけか。。。
金さえ積めば、365日間有効の乗車券も作れたわけですね。1枚の乗車券で最長ルートを3回往復半の乗車券ということになります。今の金額にすると、63万円の連続乗車券です。
ひょっとして下記と同じ人が使ったのかな。。。
私がこの時代に生きていたら多分やったでしょう。