今回は途中下車の歴史です。途中下車制度の総合解説は下記へどうぞ。
【明治時代】
きちんとした営業規則ができてない時代です。当時の時刻表(明治27年・1894年)から拾い出しました。50キロ以上の乗車券で下記の駅で認めていました。
●東京・神戸間:
川崎、横浜、大船、藤沢、国府津、御殿場、沼津、興津、静岡、浜松、豊橋、御油、岡崎、大府、熱田、名古屋、岐阜、大垣、垂井、米原、彦根、草津、馬場、大谷、稲荷、京都、山崎、大阪、西ノ宮、
●東京・直江津間:
大宮、熊谷、高崎、磯部、横川、軽井沢、小諸、上田、長野、高田
●上野・青森間:
熊谷、高崎、大宮、尾山、宇都宮、西那須野、白河、郡山、福島、仙台、岩切、松島、一ノ関、盛岡、尻内
【大正時代】
大正9年(1920年)に鉄道省の発足とともに制定された「國有鐵道旅客及荷物運送規則」から抜き出しています。
●~50キロ未満: 1回
●50キロ~300キロ未満:2回
●300キロ~700キロ未満:3回
●700キロ~1200キロ未満:4回
●1200キロ以上:5回
下車1回と下車2回の乗車券です。富山から名古屋までで2回しか降りられないというのは、結構厳しいですよね。
最長片道きっぷで途中下車などといった芸はこの時代にはかなり困難だったと思います。いちおうこの当時に最長片道きっぷを購入しようとすればできましたし、有効期間も100キロごとなので、有効期間は問題ありません。途中下車の回数は上限の5回となってしまうので、途中でほとんど遊べないという欠点がありますね。宿泊はどうすればよいかというと、終電が終わったときの出場(現在の一時出場制度)は認められているので、それで降りて駅前旅館にとまり、翌日の始発に乗っていくという随分と窮屈な最長片道きっぷの旅になります。
今一つは、回遊乗車券(現在の連続乗車券のようなもの)です。今のように連続の回数制限がないので、実際に乗る区間をぶつ切りにしていくしかないでしょう。
【昭和時代】
この時期が、途中下車制度最強の時代です。昭和7年(1932年)から距離制限なし、回数制限もなしとなっています。ただし、東京や大阪などの大都市圏の電車線区間は途中下車不可です。
実例を見てみます。
豊橋から豊川間は8.7キロしかありませんが、途中下車できていますね。しっかり牛久保の途中下車印も押されています。
こちらはわずか2年後の同じ区間の乗車券です。
金額は同じですが、途中下車前途無効となっています。大きさも途中下車できないサイズになっています(B型)。20キロ以上でないとできなくなりました。
同じ時期の別の区間を見てみます。
中部天竜から新城までで40.8キロです。
以上のように、無制限→20キロ→30キロ→50キロ→100キロと制限距離が徐々に長くなり、現在は100キロで落ち着いています。
しかし、この制度もいつまでもつか。。。