今回は1974年の時刻表から見ていただきましょう。
米子発2236→広島着500、急行「ちどり3号」です。30分ぐらいすると、逆方向の列車がやってきます。丑三つ時の静寂の中、轟音が構内に漂い、忙しそうにタブレットをやりし、信号やポイントを動かす助役さんの姿が想像できます。輝いていた時代の備後落合駅ですね。
この駅もあと何年もつのでしょうか。かつてはメジャーだった陰陽連絡線の一つが無くなろうとしていますので、早めに行っておかれることをおすすめします。
奥出雲おろち号ももうすぐなくなるので、セットで行くといいかもしれません。
場所はこちらです。いかも田舎のジャンクションといった雰囲気です。
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それでは、現在の状況です。
駅舎は意外とこじんまりしていますが、これは旅客関係の職員だけが勤務するところで、保線や運転関係は別にありました。
三次と木次方向を見ています。側線の多さから往年時の雰囲気を味わうことができます。白い建物は保線小屋か運転士の宿泊用でしょう。
こちらは給炭台でいいと思います。SLに石炭を補給するときに利用する台ですね。
朽ちるに任せた転車台です。側線の出発信号機は横に向いていますので、もう死んでますね。
新見方向を見ています。
そうこうしているとガイドさんの解説が始まりましたので、耳を傾けてみます。解説はじっくり聞くと、30分近くかかりますので、余裕をもって訪れたらいいと思います。
ボランティアガイドの永橋さんです。
待合室での講義が一通り終わると、倉庫に移動します。
駅のジオラマです。右下のところに並んでいる建物は当時の官舎です。たくさんの鉄道員が働いていたので、寮があったのです。ただし、上級職は別のところにある戸建だったそうです。
中には各種の鉄道部品が陳列してあって、一部は販売もしていました。
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近所にある簡易郵便局に行ってみました。
閉鎖されていました。ただ、郵便局の地図から消えているので、もう復活はないかもしれません。