明治時代の時刻表を購入してみました。もちろん旅師たるもの本物志向。復刻版ではなく、明治時代の本物です。古本屋さんだったので、鉄道物としての相場が分からず安く出していたものと思われます。復刻版相当の値段で本物が買えたので大満足です。
月刊時刻表の元祖である庚寅新誌社発行の『汽車 汽船 旅行案内』です。残念ながら創刊号ではなく、第2号ですが、かなり貴重な史料となります。
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では、旅師的視点で順番に見ていきましょう。
巻頭にはいくつか広告記事があります。
銀行や保険会社とならんで慶応義塾の広告がありました。正誤通知にある前号で入学金が1円とあるのは3円の間違いという通知ですが、釣りじゃないのかと思ってしまいます。そのあとの『慶應義塾の學風』という書籍も面白いですね。これは旅行案内と同じ出版社ですが、すでにこういったガイドブックが出ているのが興味深いです。慶應は当時から人気だったんでしょうね。
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路線図に入っていきます。
北海道です。まだ札幌近辺(手宮・室蘭・砂川)と現在の釧網本線(標茶・摩周)しかないですね。小樽から鉄道が広がっていったことが良くわかります。
東北本線は青森まで通じています。
関東です。水戸、日光、直江津まで通じています。横軽が既にできていますし、両毛線もできているのは驚きですね。中央線は八王子までです。
東海道線はもう出来上がっています。今では特別快速も通過する大府がちょっとしたジャンクションになっているのが特徴ですね。
武豊線の方が歴史があるからですね。
神戸から広島は、日本で最初の寝台車を連結したなど画期的なサービスを展開した山陽鉄道です。
九州は門司から佐賀、宇土まで通じています。
東京の拡大図です。東北本線方面は秋葉原、中央本線方面は飯田町(現大和ハウス工業本社)、東海道本線は新橋までしか通じていません。東京駅はまだありませんね。
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それでは時刻表を見てみます。
まず東京の近郊区間です。
初電を見ると、牛込発5:18→八王子着6:59です。これを今の時刻と比較してみます。飯田橋5:15→中野5:29/5:35→八王子6:16となり、当時から意外と早かったようですね。
ちなみに、牛込駅は現在の飯田橋駅の延長された部分にあった駅です。
そんなに本数はありませんね。豊橋駅上り方面を例にとると、新橋行7:11、新橋行10:12、新橋行13:37、静岡行16:25、静岡行19:10、新橋行22:09の計6本です。
東南アジアの地方主幹駅のようなイメージですね。
こちらは山陽鉄道のページです。
混合とありますので、客貨混合のことでしょうね。
では、この時代に18きっぷがあったと想定して、東京から広島まで旅をしてみましょう。
【官有鉄道】 新橋6:20→御殿場10:02→豊橋15:47→米原20:31→大阪24:20→神戸1:31
【山陽鉄道】 神戸2:10→岡山7:55 / 岡山8:23→広島14:20
計:32時間
現在の時刻と比較してみます。
【JR】
新橋6:18→熱海8:14/8:23→沼津8:41/8:44→豊橋11:36/11:50→大垣13:17/13:42→米原1417/14:20→姫路16:50/17:07→相生17:26/17:28→岡山18:3818:40→糸崎20:07/20:09→広島21:28
計:15時間10分
この区間は894キロですので、これをもとに表定速度(途中の停車時間などを考慮した速度)を出してみます。せっかくなので、忠臣蔵で有名な赤穂藩浅野家の急を知らせる使者と江戸時代の一番早かった飛脚も入れてみました。
●赤穂藩浅野家 時速 6キロ
●一番早い飛脚 時速 12キロ
●明治時代列車 時速 28キロ
●JR快速普通 時速 60キロ
●JR新幹線 時速 223キロ
まあこんなもんかって感じですね。しかし浅野家の使者も飛脚も早い!
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ということで、最後に面白広告で終わります。
「護身用新型ピストル銃」です。こんな広告が時刻表に載っていたのがすごいですね。しかも裏表紙です。登録したら民間人でも銃を持てたはずですので、銃を携行する旅行者もいたのでしょう。