タヌキの置物で有名な信楽焼きの信楽まで延びている信楽高原鉄道です。旧国鉄信楽線で、現在は第三セクターです。
この路線ですが、過去にとんでもない大事故を起こしています。この事故に関しては、信楽高原鐵道だけではなく、JR西日本もだいぶ悪質です。
何冊か出ていますが、裁判の記録などを詳細に追っていて、この本が一番興味深かったですね。詳しいことは、このあとの信号場のところで解説します。
ちなみにこのブログでは鉄道事故の話が結構出てくると思いますが、私自身、過去に会社の安全衛生管理者をやっていて、鉄道事故も参考にしていたので、取り扱うことが今後も多くなると思います。 旅行でも、鉄道事故現場巡礼のようなことをやっています。野次馬的ではなく、企業のリスクマネジメントとして関心があるからです。
フリーキップ
940円。貴生川⇔信楽往復と同じ金額です。
JR駅構内にあり、ノーラッチでそのまま接続しています。
3番線の専用ホームのみが信楽線です。
スタフ閉塞になっていました。むかしは自動閉塞(特殊自動閉塞)だったと思います。小野谷信号場を廃止した今は途中で交換することがなく、これで十分なのでしょう。
JRとの連絡線は切られていました。昔は貴生川と小野谷信号場間はJR側で制御していたので、いまは完全に信楽側の制御になっていると思われます。
貴生川駅をでると、大きく右に曲がっていきます。
これは後ろ(貴生川方向)を見た写真です。乗っていると、周りが開けているので、築堤を経て、高原に上がっていく感じがよくわかります。
小野谷信号場と事故現場
またまた地図の登場ですが、信楽駅を出て最初の駅を見てください。紫香楽宮跡駅ですが、相当距離がありますよね。
国鉄時代はこの駅もなく、雲井が最初の駅でした。駅間が10.3キロで20分もかかっていますから、本州の駅としてはかなり離れている方です。
1991年に世界陶芸祭というイベントがあり、輸送力増強のために交換設備が設けられました。それがこの小野谷信号場です。この信号場が全国レベルの知名度となった汚点が、同年、この先でおきた正面衝突事故ですね。その凄惨さはググってもらえばすぐにわかるでしょう。
簡単にいうと、JRから信楽までの直通の臨時列車と信楽発の普通列車がこの信号場で交換する予定となっていたものの、信楽駅の信号が青にならず、強引に発車させたら正面衝突したということです(方向優先てこの問題もありますが割愛します。)。保安設備に詳しい読者は、信号を無視したときに、なぜATSが作動しなかったのか疑問に思うでしょう。それはホームを継ぎ足して強引に4両編成にしたため、先頭車両がATSを越えてしまっていて反応しなかったという理由です。これも含めて、とにかく違法行為だらけで、読んでいて、「これが鉄道会社といえるのか!」と思うぐらい腹が立ってきます。JR西日本も同様です。
で、もちろん鉄道員なら、信号無視の危険性はよくわかっていたのですが、誤って発車した場合は、信楽駅に「誤出発検知装置」なるものがあって、反対側の小野谷信号場が赤になるので、JRからの直通列車が停車するだろうという憶測が働いていたからです。この事故のしばらく前には、それが反応してJR列車が停車しているので人間の心理としては理解できます。
ここにリスクマネジメント上、参考となる要素が含まれています。この誤出発検知装置はフェールセーフの意味でしかないので、いわばヒヤリ、ハット体験として反省しないといけないわけです。つまり関係者は事故が起きたものとして考えないといけないわけです。鉄道以外でもありますよね。たまたま運が良くて救われたとか。それを実際に事故が起きてしまったこととして考えないとリスクマネジメントとしては不十分なわけです。能力がない管理職は、冷や汗をぬぐって、何事もなかったかのように安心して終わりなわけです。そして大事故が起きる。ここが運命の分かれ道です。
では、このとき起きていた信号故障の場合はどうするのか。ときどきYouTubeでも話題となる「代用閉塞」の登場です。方法は、交換予定であるこの信号場と信楽駅の間に列車がいないことを目視で確認し、信号場に人を派遣して打ち合わせてから発車させるという実に古典的な方法です。その際は、「指導者」という腕章をつけたスタッフが人間タブレットの役割となって、その人が同乗しないと運転できないというルールになっています。
実際にこのときも同様の手順がとられていますが、目視確認も完結しておらず、信号場に担当者が到着もしていないのに、発車しています。違法行為です。
では、なぜこういった行為が起きたのか。信楽高原鐵道では、運転指令と当務駅長を信楽駅の運転主任が兼ねているので、権限は信楽駅長にあります。しかし、駅長の反対を押し切って、その上席である業務課長が越権行為をして発車させてしまったのです。ここで普通の企業に勤めている方は上席が命令した場合はそれでいいのだろうと思うかもしれませんが、鉄道などの人命にかかわる業務の場合は、上席であっても命令が出せない業域があります。業務課長も運転主任の資格をもっているので、当該業務担当にはなれますが、その時間はその人の持ち時間ではないので、越権行為は違法なのです。
どうやらこの業務課長は非常にワンマンな人で業務一式を取り仕切っていたようです。陶芸祭や運輸省の役人の視察などと上記の成功体験(?)(誤出発検知装置)が影響して正常な判断が下せなくなっていたのかもしれません。それに運転士も一緒になって駅長に出発合図をだすよう強く求めていたようです。この事故では業務課長も運転士も亡くなっていますから、かなり大丈夫「だろう運転」の心理に侵されていたのだと思います。
ここで2点学ぶことができます。
声の大きな上席が違法行為を命令した場合はどうするのか?
今回は大事故が起きていますが、駅長が体をはって止めた場合、列車は大幅に遅れて駅長の責任になったかもしれません。しかし、駅長には、運転士からブレーキハンドルを奪い取っても発車させないような気概がほしかったと思います。それが駅長職にある者の矜持ではないでしょうか。
さらに、列車が遅れたとしても、安全のため規則を優先した駅長を責めない企業の体質があるかどうかですね。当時のこの会社にはなかったと思います。安全を第一とする鉄道会社としては、もし駅長が意地でも列車を止めていた場合、法規と安全を守った駅長を評価しないといけませんね。門限に遅れた春日局を入れなかった門番の気概がほしいところです。
ということで、鉄道以外でも非常に参考になる事故なので、みなさんも是非読んでみてください。
現在の信号場です。退避線は一部撤去されています。
当時の回転灯が残っていました。この回転灯が点灯したときは、沿線電話(線路際の電話機)で信楽駅に連絡するようにという申し合わせのはずが、施錠されている状態でできませんでした。列車無線はJRと信楽高原鐵道では周波数が違うので通話できません(そもそも信楽の無線機をJRに貸せばよかったと思うのですけどね)。
これは1999年に訪問時の写真です。このときはまだ交換設備は残っていました。
そして信号場を過ぎて、高速道路をくぐったあたりにある慰霊碑です。同じく99年の写真ですが、事故のからまだ間がないこともあって、手を合わせている遺族らしき方の姿を見ました。
タブレットの仕組みはこちらをどうぞ。
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では、いつもの乗りレポに戻り、先に進みます。
雲井駅
右のホーム跡は貨物用でしょう。線路の先が少し左に曲がっていることからもわかるように左に反対ホームがあったものと予測されます。
駅舎は表層がリフォームされていますが駅舎は古いです。
信楽高原鐵道になってからのリニューアル駅舎です。
駅前の大たぬきもマスクです。
これは99年の風景。
窓口の奥が指令卓、その奥が会社の事務所になっています。
もちろんたぬき駅長ですね。
出札の奥に見えたミミックパネルです。右上から2番目に穴がありますが、あれが「小野谷呼出」スイッチの痕です。上述の信号所の回転灯のスイッチがあった痕です。
99年の時より硬券が減っていました。
ざっとこんな感じです。特殊補充券はありません。写真に写ってないですが、補充往復もあります。
記念乗車証もあります。
待合室の壁面は事故の記録となっています。
ホームにもたぬきが鎮座。
こちらは99年の写真です。2番線がまだ使われていたようです。
お土産は汽車土瓶がおすすめです。
抜け道について
国鉄時代は加茂に抜ける国鉄バスがありましたが、現在はありません。やるとしたら石山方向ですが、途中、乗り換えが必要になります。