旅と鉄道の美学

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【コラム】 鉄道人気の停滞期に鉄道クラブを創設し部長に就任した件

 

  JR初期に小学校に鉄道クラブを創設

 

 今でこそ鉄道人気は女性も含めてかなりのものですが、私が小中ぐらいのときは、一時的に低迷期であったように思います。国鉄末期からJRへの過渡期で、国鉄に対する批判も大きく、荒れ放題、朽ち放題のような場末感が漂っていました。それがまた魅力であったことは、本ブログでもいくつか語っている通りです。

 

 祖父が時事ネタの番組や国会中継などをよく見ていたので、あまり理解できないのですが、一緒にテレビを見て、国鉄改革について質問していたように思います。その後、国鉄改革の問題は、高校生のときに「現代社会」の授業で国鉄改革をテーマにしたレポートを提出し、大学に入って労働法の授業を受けて、やっと実態が理解できてきました。まあ、あそこまでちんたら働いていたら国鉄解体はしゃーないわなって思いますが、分割は西と東と貨物だけで十分だったのではないかと思います。

 

 さて、北斗星ジョイフルトレインなどが登場する前は、やはり鉄道趣味といえばオシャレとはどう考えてもいえず、クラスで鉄ヲタといえば変人あつかいでした。しかし、それでもめげずに、運動を続け、仲間を増やし、一緒に旅に出ていました。その総仕上げとして、小学校5年生から「鉄道クラブ」創設のロビー活動を開始し、ついに6年生でこの政治運動を実現しました。今なら、20%ぐらいは女子部員になるでしょうが、ふたを開けたら、野郎ばっかw。小学校高学年といえば、表では反発しつつも、心の中では女子を意識するじゃないですか。部長に就任して、鉄道の奥深さを語って、カッコいいところを見せようと思っても、これではね~。

 部員はたしか8人ぐらいだったと思います。クラブ活動の対象が5年と6年なので、総数110人ぐらいとして、議席占有率7.2%という弱小クラブでのスタートとなりました。政党でいうと、新自由クラブみたいなものですね。いや二院クラブですね。

 

 ということで、世間が鉄道を邪魔者扱いしているような国鉄時代から鉄ヲタをやっているので、いちおう自慢してもいいのかなって思っています。なんか地下アイドル時代からのファンというか、掛布・バースの時代からの阪神ファンというか。

 

 

  鉄子はいつごろ増えだしたか?

 

 ついでにこれもお話ししましょう。

 基本的に21世紀に入ってからだと思います。まず、国鉄末期やJR初期は全国各所に乗りに行っていましたが、100%男子でした。びっくりするほど男子です。ホントに野郎ばっかり。マジで野郎しかいません。国鉄最終日には飯山線只見線に乗っていましたが、途中の長時間停車で入場券を買いに並んだ20人ぐらいが全員男子なのです。ホームを見てもオトコだらけ。いちおう私が最年少でした。。。

 

 (国鉄最終日は会津線で終えました。)

 

 この手のディープ路線で、初めて鉄子の姿を見たのは、1994年の深名線幌加内駅で入場券を購入するため駅の窓口で並んだときです。10名程度のうち1名が女子でした。人生で初めてソロ(※)の鉄子を見たときでした。おぉ!って思いましたね。その子は母親と一緒にまわっていた様子で、母親はテンション低めの付添だったので、ソロの鉄子と断定できます。

 ※ソロというのは、鉄ヲタにくっついている風の彼女や嫁、娘などは除外した本チャンの鉄子という意味です。

 国鉄やJRの主催するイベントには女子の姿はあるのですが、部品即売会などのディープなコーナーに行くと、ゼロ。趣味系のショップでは女子の姿など一度も見たことがありません。

 

 ということで、私の体感結果ですが、鉄子の出現状況は、1980年代は、ほぼゼロ。1990年代で5%程度、2000年代から少しずつ増え始めたと考えていいと思います。中年以上の読者の皆様も同じ印象をお持ちだと思います。1990年代の大学の鉄道研究会にも女子の姿はなかったようです。

 

 今の鉄道クラブは華やかそうでちょっとうらやましいですね。まあそんな思い出語りでしたっと。手抜き記事いっちょーあがり。