旅と鉄道の美学

鉄道を中心とした国内外の旅と切符など。リンクフリーです。

【切符系】 デザインもさまざま バスから鉄道への直通切符 (連絡運輸)

 現代では絶滅寸前といっていいと思います。バスから鉄道(主に国鉄やJR)への直通乗車券です。船なども含めて、昔は旅客の便宜と国鉄側の効率化のために連絡乗車券は広範囲に発売されていました。特に船などは、一度に大量の旅客が下船したときに連絡駅の窓口が長蛇の列になってしまうので、あらかじめその先の目的地まで乗車券を売っておいた方がお互いに効率がいいからです。青函連絡船宇高連絡船の案内所でも切符を売っていました。

 

 しかし平成に入って、乗車券も電子化されると、そのような手間も少なくなり、逆に会社間の精算手続きや窓口での煩雑さが目立つようになり、廃止されてきました。特に近年では、スイカの普及を意図してJR東日本が大量に連絡運輸を廃止した事例が目立ちます。 現在、バスとJRとの連絡は、西日本ジェイアールバスの一部の区間だけのようです(下記の記事参照)。

 

 さて、手持ちのものからウンチクを語れそうな乗車券を取り上げてみます。

 

f:id:Estoppel:20190307102651j:plain

 桜の名所、長野県の高遠城の最寄りのバスターミナルです。歴史の好きな方には、絵島生島事件の絵島が幽閉された場所と言った方がわかりやすいかもしれませんね。

 この当時の国鉄バスは鉄道と同じように考えられていたので、バスと鉄道をセットで発売することは日常的な出来事でした。それを極限まで追求して最長片道切符を成し遂げたのが下記の記事の最後で取り上げた種村直樹の書です。これは私もやりたかったですね。   

 

f:id:Estoppel:20190307102706j:plain

 こちらは比較的めずらしいです。静岡県の山奥にあったバス停の遠江西川(とおとうみさいかわ)から天竜川沿いを下って、西鹿島から遠州鉄道に乗り換えるものです。国鉄バスから私鉄への連絡乗車券です。

 鬼平犯科帳でいうと駿州・宇津谷峠で登場する秋葉山の少し奥ですね。現在の浜松市の先端の方です。マニアの方には、廃止された佐久間レールパークの近くと言った方がわかりますかね。

 このあたりの飯田線静岡県に入っているので、買い物に豊橋に出るのか浜松にでるのか微妙な位置になってきます。7割の確率で浜松だったと思います。そういった需要もあってこの乗車券なのでしょう。

 この路線は、国鉄バス⇒JR東海バス⇒遠州鉄道バス水窪タクシーと引き継がれて風前のともしびです。 

 

www.estoppel.jp

 

 

f:id:Estoppel:20190309132115j:plain

f:id:Estoppel:20190309132522j:plain

 関東の方にはメジャーな社員旅行地ですね。草津温泉のバスターミナルは立派な建物に、しっかりした窓口が完備されて、みどりの窓口もあります。国鉄時代は記念スタンプのあるバス停として有名でした(下記の記事参照)。

 上段が硬券時代のもので、下段は硬券がなくなってからのものです。私は高校生の時に友人らと草津温泉に行っていますが、そのときは硬券はすでになくなっていました。なお、現在は、連絡乗車券は買えません。

 

f:id:Estoppel:20190831202304j:plain

 こちらも温泉地発の乗車券ですね。JRや国鉄ではないバスも温泉地からは大量の旅客が都市部に帰っていきますので、こういった乗車券も需要があったわけです。

 

 

f:id:Estoppel:20190309132739j:plain

 これがたぶんバスからJR連絡で最後に残った硬券乗車券ではないかと思います。もともと鉄道区間でしたが、それが廃止されて、JRになっても存続していた事例です。

 マニアの間では比較的珍品扱いされているものです。小さなバス停に、愛想の良いおばさんがいて、待合室内の切符売り場でこじんまりと売っていました。事務室内に入らせてもらって、乗車券箱を一緒に見ながら「どれがほしいかな~?」って言われて品定めしたのを覚えています。思い出のキップです。机上に訪れた人の名刺が置いてあり、新幹線の車掌さんも来ていたようで、コアなマニアには静かな人気の乗車券でした。

  ちなみに鋏がはいっていますが、これはそのバス停で入れられたものです。実際に東京まで使って、最後は定期券で降りたので手元に残りました。左の色あせているところがいいですよね。何十年も売れてないことがよくわかります。

 

f:id:Estoppel:20200128172818j:plain

 こちらは秋田市の五条目バスターミナルから国鉄連絡ですが、同様に鉄道時代から存在する範囲がバスになっても継続されていたものです。 平成5年まで残っていたとは驚きです。

 

f:id:Estoppel:20200128172859j:plain

 神奈川中央交通から国鉄連絡です。昭和59年ぐらいなら、まだまだ関東圏でも多かったと思います。

 

f:id:Estoppel:20190307102719j:plain

 こちらはバスからの補充片道券で最後に残ったと思われるものです。西大路って京都駅の隣ですからね。小人で5000円近くの乗車券ってなんやねん?って思うでしょうけど、京都の遊覧バスを1日楽しんでから、JRに乗るまで一緒に売ってしまうという超変り種乗車券です。こんなものを売っているとは普通気づきませんよね。券面を見てもらえばわかるように、平成10年なのにまだ昭和表記です。 ただ、券番をみると、28000なので、昭和の時代は相当売れたのだと思います。

 

  連絡運輸規則の別表によると、遊覧の訪問箇所は下記の通りでした。これらを巡ってから、京都駅でJRに乗って目的地に向かう乗車券ということになります。ずいぶん不思議な乗車券です。

f:id:Estoppel:20190519233020j:plain

 

 

f:id:Estoppel:20190614215938j:plain

 最後は、連絡乗車券ではありませんが、高速バスが抑止したときに新幹線に乗ることが可能な振替乗車票です。今ではさすがに新幹線への振り替えは行っていないと思います。鉄道路線とバス路線を同一と考えていた国鉄だからこそのキップですね。