良く考えたら日本の食堂車で食事をしたことは、これが最初で最後かもしれません。
もちろん観光用であれば軽食コーナーなどが残っていたりしますが、一般旅客ねらいの食堂車はもうないといっていいとおもいます。
これが廃止になる前は九州方面の寝台特急に残っていましたが、自由に旅行ができる年齢になったときにはすでにただの休憩室扱いになっていました。
全盛期は急行列車にまで食堂車があって、楽しい旅行ができたんだろうな・・・と想像しています。しかも専門のすし職人がカウンター越しに握っていた食堂車もあって、これは聚楽台もびっくりですね。
ってか、ひょっとして聚楽が担当していた食堂車かな。
さて、このひかり号の二階部分にあった食堂車が廃止される直前に利用した記録です。
(撮影日:2000年3月)